A300

スペック

機種名 A300B4 A300-600 A300-600F A300-600ST
販売開始年月 1975.11 1984.9 1985.5 1995.9
販売終了年月 1989.4 2007.5 2007.12 -
販売価格 165,000 177,000 169,000 190,000
クラス設定 FCY FCY Cargo Cargo
最大定員(人) 375 375 - -
最大積載量(t) - - 64 64
航続距離(km) 6670 7540 4850 5050
巡航速度(Mach) 0.78 0.78 0.78 0.8
燃費 6.6 7.3 7.2 7.3
満足度 - - - -

解説

 エアバス社初、そして欧州初のジェット機。

 1960年代、B707-120DC-8-11の成功を受けて欧州各国で研究が始まったジェット機。
 途中なんやかんやあって仏・西独・英・スペインといった4カ国の航空機製造会社がエアバス社に合流。イギリスが持ち前の英国面を発揮して離脱したり、DC-10やL-1011と戦うために計画当初より大型化した。1972年に初号機(のちのA300B1)が、1974年には5号機(A300B2)がエールフランス航空で初就航する。
 販売は「ただでさえ座席が200席超とデカイのに、短距離(B2の航続距離は3,425kmしかなかった)しか飛べないなんて」と欧州各社ですら導入をためらったため大苦戦。
 そこでエアバスは米国市場に活路を見出し、当時不況下でお金がなかったイースタン航空に『新型のA300B4・4機を6ヶ月間無料で貸出す』という奇策に出る。
 結果は大成功。のちにイースタン航空は合計30機超の発注を行うこととなる。不況が収まりはじめると発注が米国はもちろん欧州でも増加。1979年には年間69機の受注が出るまでになる。
 A300の成功でようやく会社の金庫に金が積み上げられるようになったエアバス。ちゃっかりエアバスに復帰した英国とともに後継機、A310の開発に着手。その開発で得た技術(グラスコクピットだったりフライ・バイ・ワイヤだったり)を載せた新しいA300の開発に至り、A300-600としてデビューすることとなる。

 2006年に製造終了するまでに生産されたA300は、旅客機・貨物機・軍用機あわせて561機。ライバルのボーイング社・B767には負けるものの、A320からA380まで、小型機から大型機まで揃えたエアバス・ファミリーの礎を作った。

 日本ではTDA(東亜国内航空、のちのJAS(日本エアシステム)→JAL(日本航空))がB2・B4・-600を就航させていた。
 また佐川急便も使っていたが、ほとんど黒歴史化している。

ゲーム内では…

 DC-8やDC-10、L-1011などを置き換えるの適している。大都市-中都市の路線でも独占すれば$7000kほど稼ぐことも。とはいえ、そこそこ高価なので導入は計画的に。

A300B4........初号機(B1)を改良し初就航した3号機以降(B2)の、航続距離延長版(A300B4-200がモデルか?)。
       ゲームではETOPSなんてないので、大西洋ルートでもギリギリ飛ばせる。
A300-600......B4を近代化したもの。航続距離と燃費が良くなってる。
       DC-10代わりにバンバン飛ばしたいが、航続距離が相変わらずネック。
A300-600F.....-600の貨物機。日本でも使われ、佐川急便が使ってた事も。(ギャラクシーエアラインズは星になったのだ、文字通りに……)
       なかなかの積載量があるのに航続距離が短い。使い所に悩む。
A300-600ST....-600Fを『エアバスの飛行機のパーツを輸送するための飛行機』にしたもの。「ベルーガ(シロイルカのこと)」の愛称がある。
       An-225の次に使い難い貨物機と思いきや、2000年代後半の高需要ではそこそこ出番も見られる。


コメント

  • A300の最大定員ってやけに多いですよね、Wikipediaとも違うしDC-10よりも多い… --- (2017/02/23 17:13:06)

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  • 最終更新:2024-02-08 18:01:48

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